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東京地方裁判所 昭和56年(合わ)305号 判決 1982年12月23日

被告人 川俣軍司

昭二七・二・一一生 無職

主文

被告人を無期懲役に処する。

押収してある柳刃包丁一丁(昭和五六年押第一六四四号の一)を没収する。

理由

(被告人の経歴及び犯行に至るまでの経緯)

被告人は、茨城県鹿島郡波崎町で生まれ育ち、地元の中学校を卒業した後、都内の寿司屋に就職し、板前見習いとして約三年間働いたが、他の店で修業しようと考えて同店をやめ、以後、都内や千葉県銚子市内の寿司屋、運送会社などを転々とするうち、昭和四七年八月、恐喝罪により懲役刑に処せられてその執行を猶予されたが、同年一二月に、傷害罪等により懲役刑に処せられて、右執行猶予も取り消されたため、両方の刑をあわせて川越少年刑務所で服役した。昭和五〇年九月に出所した被告人は、都内の運送会社に自動車運転手として就職したものの、長続きせず、再び転職を繰り返したあげく、昭和五一年七月には、暴力行為等処罰に関する法律違反の罪等により懲役刑に処せられ、昭和五二年四月まで水戸少年刑務所で服役した。その後郷里に帰り、両親や弟とともにしじみ取りの仕事に従事したが、粗暴な言動が目立ち始め、やがて生活も派手になり、暴力団関係者との交友もあつて、覚せい剤を使用するようになり、昭和五三年夏ころから徒食しているうち、無免許運転で何回も検挙されたうえ傷害事件を起こして懲役刑に処せられ、昭和五四年一月から府中刑務所で服役することとなつたところ、そのころから次第に強く、幻覚・妄想という異常体験に悩まされるようになつた。同年一一月に出所した被告人は、街路警備会社や水産会社などに勤めたが、言動が粗野なうえに勤務状態も悪かつたため、いずれも短期間で解雇され、昭和五五年九月、業務上過失傷害罪等により懲役刑に処せられて、再び府中刑務所で服役した。

昭和五六年四月二一日に出所した被告人は、寿司職人として身を立てようと考え、柳刃包丁一丁を購入し、同月二五日から同年六月一三日までの間、都内及び千葉県浦安市内の寿司屋七か所に勤めたが、客や同僚に威圧的で横柄な態度をとるばかりでなく、技術が劣り遅刻も多かつたことなどから、いずれも長くて二〇日、短いときはその日のうちに解雇されるという有様であつた。こうして解雇が重なり生活にも窮するうち、次第に幻覚・妄想が増強され、自分がそういう状態に陥つたのは、「高級役人が黒幕になつていて、自分の頭に電波を飛ばしたり、テープに録音された声を流しているうえ、勤め先の上司らや親兄弟にまで圧力をかけ、悪口を言わせたり、計画的に自分を解雇させたりして、自分を苦しめているからだ。」と確信するに至り、黒幕らに対する妄想的怨恨をつのらせつつ、「いずれどこにも就職できないところまで追い詰められた場合には、女子供を殺して人質を取つて立てこもり、寿司屋の経営者らを呼びつけて、黒幕がだれであるかを白状させたうえ、黒幕を呼び出して対決し、黒幕や寿司屋の経営者らに責任をとらせよう。」と考えるようになつた。被告人は、同月一六日に都内四か所の寿司屋に就職を申し込んだが、うち三店は面接態度が悪いということなどから採用を断られ、残る一店の「寿司田」では翌日電話で採否を問い合わせるように言われたためこれに希望をつないでいたものの、翌一七日朝、常宿としていた簡易宿泊所の「たばこやベツドハウス」を出たときには、所持金がわずか一九五円しかなく、もし「寿司田」で採用されなければ、さしあたつての食費にも事欠くという事態に立ち至つた。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五六年六月一七日、一方では、「寿司田」で雇つてもらえることに期待をかけて身なりを整え、他方では、兇行に備えて手が滑らないように前記柳刃包丁(刃体の長さ約二三センチメートル・昭和五六年押第一六四四号の一)の柄にさらし様布片を巻きつけたうえ、午前一一時三〇分ころ東京都江東区森下三丁目五番二〇号の前記「たばこやベツドハウス」を出て、付近の公衆電話から前記「寿司田」に電話をして採否を問い合わせたが、採用できないと断られた。ここにおいて、被告人は、自分の人生は終わりだと思つて絶望し、こうなつた以上は、通行人らを殺害したうえ人質を取つて立てこもり、かねて考えていたところを実行に移そうと決意し、

第一  同日午前一一時三五分ころから四〇分ころまでの間、同区森下二丁目一四番三号喫茶店「ロアール」前路上において、たまたま、長野るみ子(当時二七歳)が、長男博明(当時一歳)をベビーバギーに乗せ長女統子(当時三歳)を連れて通りかかるや、所携のバツグから前記柳刃包丁を取り出し、やにわに、博明の前方からその腹部、そ径部、胸部等を何回も突き刺し、次いで、統子の前方からその胸部、腹部等を数回突き刺し、更に、るみ子に対しても後方からその背部及び右側胸部を一回ずつ突き刺し、引き続いて、約九メートル西方の同区森下二丁目一四番二号三河屋岩永酒店前路上において、たまたま通りかかつた二本松美代子(当時三三歳)に対し、いきなり、前記包丁で前方からその上腹部を一回突き刺し、その後も、約一五メートル西方の同区森下二丁目一七番一〇号森下診療所前路上において、たまたま通りかかつた加藤貞子(当時七一歳)に対し、いきなり、前記包丁で前方からその腹部を一回突き刺し、更に、約一二メートル西方の同区森下二丁目一七番八号花菱化粧品店の店舗から道路に出て来た吉野千鶴子(当時三九歳)に対し、やにわにその腹部をめがけて前記包丁を一回突き出し、よつて、同日午後零時五分ころ、長野博明を同区住吉一丁目一八番一号社会福祉法人あそか病院において、肺動静脈損傷等に基づく失血により死亡させ、同日午後零時二〇分ころ、長野るみ子を同都千代田区神田駿河台一丁目八番一三号駿河台日本大学病院において、左肺肺内動静脈切断に基づく失血により死亡させ、同日午後一時五〇分ころ、長野統子を同都文京区千駄木一丁目一番五号日本医科大学付属病院において、胸腹部臓器損傷に基づく失血により死亡させ、同日午後二時三〇分ころ、二本松美代子を前記あそか病院において、肝、下大静脈等損傷に基づく出血性シヨツクにより死亡させ、もつてそれぞれ殺害し、また、加藤貞子に対しては加療約三か月半を要する腹部刺創及び小腸、腸間膜、後腹膜各損傷の傷害を、吉野千鶴子に対しては加療約二週間を要する左前腕切創等の傷害をそれぞれ負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、

第二  前記犯行直後の午前一一時四〇分ころ、前記花菱化粧品店前から約二一メートル西方の同区森下二丁目一七番七号中華料理店「萬来」(経営者村田進)前路上において、たまたま通りかかつた石塚真理(当時三二歳)に対し、やにわに、左腕でその頸部を抱え、右手で前記包丁をのど元に突きつけながら、「萬来」店舗出入口から奥六畳間に入り込み、もつて故なく人の住居に侵入し、そのころから同日午後六時五四分ころまでの間、同室において、前記包丁の刃を同女の頸部に押し当てたり、背部を切りつけたりするなどの暴行脅迫を加え、もつて同女を不法に監禁し、その際、右暴行により、同女に対し加療約一週間を要する前胸部・背部・右上腕・右前腕擦過創等の傷害を負わせ、

第三  業務その他正当な理由による場合でないのに、同日午前一一時三五分ころから同日午後六時五四分ころまでの間、前記喫茶店「ロアール」前から中華料理店「萬来」に至る間の道路上及び「萬来」店舗内において、前記柳刃包丁一丁を携帯した

ものであるが、右各犯行当時、異常性格を基盤とする心因性妄想に覚せい剤使用の影響が加わつて生じた幻覚妄想状態による精神障害のため、心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人の責任能力について)

第一当事者の主張

弁護人は、被告人の本件犯行は、異常性格、反応性妄想発展及び覚せい剤使用による精神分裂病類似の症状に起因する幻覚・妄想に直接的かつ全面的に支配されて遂行されたものであるから、被告人は犯行当時心神喪失の状態にあり、もし何らかの理由によつてこれに当たらないとしても心神耗弱の状態にあつた旨主張し、検察官は、これに対し、被告人は、犯行当時、異常性格に基づく妄想に覚せい剤中毒の影響が加わつた状態にあつたけれども、妄想は犯行の動機の形成に関与したに過ぎず、より合法的な行動を選択することができたと考えられるから、是非善悪を弁識しこれにしたがつて行動を制御する能力が、正常人に比して低下していたとはいえ、これを欠いていたものではないことが明らかである旨主張する。

第二当裁判所の判断

一  犯行時における被告人の心理状態

(一) 石塚真理の検察官及び司法警察員(四通)に対する各供述調書、司法警察員作成の捜査報告書によれば、被告人は、判示第二のとおり石塚真理を監禁して「萬来」に立てこもつた際、同女にその場にあつた紙片に被告人の言うことを口授して要求書を書かせているが、その書面には、「電波でひつついている役人の家族をすぐ連れてこい。寿司屋の寿司田、梅岡と魚河岸、寿司長、花み寿司、寿司元、天狗寿司、松喜の夫婦全員つれてこい。……半日以内につれてこい。……おれがこういうことをしたのもみんなひつついている役人がわるいからだ。テープでひつついているからだ。……人が死んだのも役人とぐるになつておれをひつついた寿司屋と水産屋がわるいんだ。それの責任だ。」(以上、原文のまま)という記載がある。また、前記各証拠によれば、被告人は、同女又は室外の警察官に対し、「親兄弟などみんなでぐるになつて自分をじやましてきた。陰口もたたいてきた。我慢に我慢を重ねてきたが、ここでけじめをつけるんだ。人が死んだのもぐるになつた者の責任だ。こういうことが大ぴらになれば、あいつらみんな店をやつていれない。店をつぶしてやる。」、「こうなつたのもみなあいつらが悪い。親兄弟まで役人とぐるになつてひつつきやがつて。こいつら全員に責任をとつてもらう。」、「おれのいうことをニユースでやらせろ。テレビに流れるマイクを用意しろ。」などと言つたことが認められる。

(二) 押収してある封書一通(証拠略)、証人加藤正雄に対する裁判所の尋問調書、被告人の第七回公判における供述によれば、被告人は犯行当日より約二〇日前の昭和五六年五月二五日ころ銚子市の兄のもとに赴き、自筆の手紙を手渡しているが、その手紙には、「俺は家へ帰つた時銚子で働いた。毎日、電波、テープ、映象とひつきりなしに引つつかれていた。泣きたくもないのに電波でメソメソさせられた。笑いたくもないのにニヤニヤさせられた。考えたくもないことをテープで考えさせられた。想像したくもないことを想像させられた。……今でもそれは続いている。……俺が引つつかれているのを知つていながらまさか親兄弟が一諸になつて、こそこそ言うとは思わなかつた。……他人もこそこそ言つたり、おかしな演技を何度かしている。スナツクに言つた時のさもケンカするふうな演技、あれはどうしたんだ。……俺をひつついている人間にいわされているのか。……いくらなんでも俺の職場、そこの客、従業員、店の外の通行人、なんでその様な者らに俺がこそこそ言わなければならないんだ。引つきりなしだ。なんでそれで俺が首にならなければいけないんだ。……皆引つついているのが悪いんだ。毎日安みなしに電波とテープが耳に入つてくるんだ。……俺が少しは引つつかれてるつてのが分つたか。みんな計画通り首になつとるよ。とにかく後二ケン寿司ヤをあたつてみる。手元にも金なんかない。おそらく俺がケジメつける時になつたら、ますい銃か相当武道をやつてる人間を通行人にまぎらわすかどちらかの方法をとつて俺が殺しに行くのをそしすると思う………とにかく五ケン目でもまともに働けないような状態であつたならケジメをつける。殺してやる。それより方法がない。」(以上、原文のまま)という記載がある。また、前記証人加藤正雄に対する裁判所の尋問調書、被告人の司法警察員に対する六月二九日付供述調書によれば、被告人は、府中刑務所を出所した当日の昭和五六年四月二一日、兄に電話をかけて、「今回の懲役くらい苦労したことはなかつた。親兄弟までぐるになつて自分をいじめるとは思わなかつた。自分は麻酔をうたれて殺される。舌をかんで死んでやる。それでも平気か。」などと言つた事実が認められる。

(三) 一方、被告人は、捜査段階において、「高級役人が黒幕になつて、心理学者を使い、被告人の頭に電波を飛ばしたり、テープに録音された声を流したりしてきたうえ、勤め先の雇主、従業員や親兄弟にまで圧力をかけ、悪口を言わせたり、計画的に被告人を解雇させたりしてきた。」などと供述し、また、本件犯行に及んだ理由としては、「昭和五六年四月に府中刑務所を出所してから、板前として立派に仕事をして立派な家庭を持とうと考えていたものの、黒幕が勤め先の経営者に圧力をかけて次々と被告人を解雇させ、ついにどこにも就職できない状態にさせられたため、女子供を殺して人質を取つて立てこもり、被告人を解雇した寿司屋の経営者らを呼びつけて、黒幕がだれであるかを白状させたうえ、黒幕を呼び出して対決し、黒幕や寿司屋の経営者らに責任をとらせようとした。」などと供述している。

被告人のこれらの供述は、前記(一)に摘記した被告人の犯行当日の言動を示す客観的証拠とよく符合しているばかりでなく、前記(二)に摘記した手紙や電話の内容とも連続性があり、被告人の犯行時の心理状態をほぼ正確に表現しているものと考えられる。

(四) このようにみてくると、精神病理学上の意味づけや、どの程度責任能力に影響したかは後にみるとして、当時被告人が、前記の各証拠にみられるような幻覚・妄想に悩まされ、前記の被告人の供述に現れているような心理状態のもとに本件犯行に及んだものであることは動かし難い事実であるといわなければならない。

二  幻覚・妄想の形成経過とその要因

(一) 証人加藤正雄に対する裁判所の尋問調書、府中刑務所長保管にかかる収容者身分帳簿、川俣竹治郎及び伊藤三郎の検察官に対する各供述調書、川俣竹治郎及び川俣三郎の司法警察員に対する各供述調書によれば、被告人は、昭和四九年に川越少年刑務所に服役していた際、いらいらして心情が不安定であつたばかりでなく、係官に対し、「陰でゴソゴソ言う奴がいる。」「同僚の自分を見る目が違う。」「職員が自分に当てこすりを言う。」などと訴えたことがあり、その後、両親や弟とともにしじみ取りに従事していたころ、同人らが自分の悪口を言つているものと邪推して食つてかかつたことが何度かあつたうえ、昭和五三年にしじみ取りをやめたころから、父親に対し、「頭に電波が走る。仕事の先々で皆が自分を妨害する。」などと言うようになり、また、昭和五五年春ころには、兄に対し、「暴力団のいい親分から電波を飛ばされている。」などと言つたことが認められる。なお、被告人自身も、捜査段階及び公判廷において、自己の異常体験について述べており、それがいつごろ始まつたかについては必ずしも一貫性がなく、内容等についての追想錯誤や誇張もあると考えられるが、犯行時までの異常体験については、大筋において記憶のとおりに述べていると認められる。

(二) 鑑定人風祭元作成の鑑定書及び証人風祭元の当公判廷における供述(以下これらを「風祭鑑定」という。)、医師福島章作成の鑑定書及び第三回公判調書中証人福島章の供述部分(以下これらを「福島鑑定」という。)によれば、被告人の知能はほぼ正常域にあるが、その性格には、判示のようなたび重なる転職や暴力犯罪の反覆にも表れているとおり、顕著な偏りがあり、被告人は、爆発性、情性欠如性、意思欠如性、自己顕示性、自信欠如性(敏感性)などを主徴とする異常性格者であると認められる。他方、被告人に精神分裂病の負因がなく、感情障害、意欲障害等もみられず、鑑定中の心理検査の結果などに照らしても、被告人が精神分裂病に罹患している疑いのないことは、右両鑑定がともに指摘するとおりと認められる。

(三) 被告人の第七回公判における供述、第五回公判調書中被告人の供述部分、被告人の検察官(九月一〇日付)及び司法警察員(七月一〇日付)に対する各供述調書、証人加藤正雄に対する裁判所の尋問調書、伊藤三郎の検察官に対する供述調書、その他関係証拠によれば、被告人は、遅くとも昭和五三年三月ころには覚せい剤の使用を始め(昭和五二年暮ころ既に使用していたふしも窺われる。)、その後昭和五三年一〇月に傷害事件等で逮捕されるまでの間、相当回数の使用を重ねたうえ、昭和五四年一一月に出所した後も、再び数回にわたつて使用したことが認められる。更に、被告人は、昭和五六年四月二一日に最終刑を終えて出所してからは、覚せい剤を一切使用していない旨供述するけれども、司法警察員作成の捜査報告書、鑑定人兼証人安藤皓章の当公判廷における供述、その他関係証拠によれば、本件犯行後被告人の尿からフエニルメチルアミノプロパンが検出されているのであるから、被告人が犯行直前に覚せい剤を使用したことは、間違いないものと認められる。

(四)(1) ところで、前記一及び二の(一)でみた被告人の幻覚・妄想の内容を風祭、福島両鑑定にしたがい、精神病理学的に分析すれば、次のとおりである。すなわち、「テープが耳に入つてくる。」というのは幻聴と呼ばれ、「頭に電波が走る。」というのは、体感幻覚(異常身体幻覚)と呼ばれるものであつて、これらは幻覚と総称され、また、周囲の人の通常の会話を自分の悪口と受けとるのは、関係妄想と呼ばれ、他人が何者かの指示によりおかしな演技をしていると受けとるのは、妄想知覚と呼ばれ、意に反して想像させられたり、ニヤニヤさせられたりするなどと思うのは、作為体験と呼ばれるものであつて、これらは妄想と総称され、更に、「役人が黒幕となつて、電波やテープを流したり、被告人のまわりの人々に圧力をかけて、悪口を言わせたり、解雇させたりする。」と考えるようになることは、妄想体系が構築されるといわれるものである。

(2) そこで、前記(一)ないし(三)でみた事実に、判示冒頭でみた被告人の就職、服役の状況、前記一でみた被告人の犯行時の心理状態及び風祭、福島両鑑定をあわせ考えると、被告人には、川越少年刑務所入所中の昭和四九年ころから関係妄想ないし被害妄想ともみられる体験が現れ始め、昭和五三年における覚せい剤の使用によつて幻覚が加わり、これに結びついた妄想が昭和五四年に服役したころから徐々に発展し、昭和五四年から昭和五五年にかけての覚せい剤の使用やたび重なる解雇、昭和五五年九月からの服役によつて、妄想体系が構築されて行き、昭和五六年四月の出所後は、家族からも見放され、失職を繰り返し、所持金も乏しくなるという追い詰められた状況の中で、覚せい剤を三たび使用したために、妄想的怨恨を重大犯罪を行うことによつて晴らそうとする衝動性が強められたとみるのが最も自然である。そうすると、犯行時の幻覚妄想状態は、精神分裂病に基づくものではなく、異常性格を基盤とする心因性妄想に覚せい剤使用の影響が加わつて生じたものと認めるのが相当である。

三  被告人の責任能力

(一) 以上みてきたとおり、被告人がかなり以前から幻聴及び体感幻覚を伴う幻覚と関係妄想、妄想知覚、作為体験等を伴う妄想の体験を有し、次第にこれらが増強されて、妄想体系が構築され、被告人が、この妄想体系の内容に沿う考え、すなわち、黒幕と対決して黒幕らに責任をとらせようという考えに基づいて、本件犯行に及んだことは間違いないところであり、これに加えて、判示のとおり、見ず知らずの通行人を次々と殺傷したという犯行態様にも照らすと、被告人の幻覚・妄想が少なくとも本件犯行の動機の形成に重要な役割を果たしたことは否定できないところである。

(二) そこで、進んで被告人の言動を更に仔細に観察すると、(証拠略)によれば、以下のような事情が認められる。すなわち、(1)被告人は、幻覚・妄想が強まつていたものと考えられる昭和五六年四月以降の段階においても、勤め先では幻覚・妄想があると疑われるような言動を示さなかつたうえ、解雇されながらも繰り返し就職し、寿司屋で働く可能性がある限りは重大な反社会的行動に走ることを回避する態度を維持しており、本件犯行も最後の頼みとした寿司屋から断られてはじめて敢行すべく企図され、現にそのとおりに実行されたのであるから、被告人は、本件犯行の直前まで幻覚・妄想に悩まされながらも、一応社会生活を継続するだけの分別と自分の行動を統御できる力とをなお失つてはいなかつたものということができる。(2)また、被告人は、犯行当日の朝、包丁の柄に滑り止めの目的でさらし様布片を巻きつけて犯行の準備をし、合計六人に対する殺傷行為をした直後、包丁の刃こぼれに気づくや、それ以上殺傷行為を続けることは無理だと判断して、直ちに人質を監禁する行為に移り、石塚真理を監禁している間も、警察官が接近すると同女に暴行を加えて接近しないよう叫ばせ、飲食物を差し入れさせる際には狙撃を避けるため同女を楯にするようにしたうえ、飲食物を同女に丹念に毒味させ、更に、警察官の突入に備えて包丁をていねいに研ぎ直すなどしており、これらの事実に徴すると、被告人は、犯行の準備をしたうえ、犯行中七時間余の長時間にわたり、清明な意識のもとに注意深く四囲の状況に対応しつつ合目的的に行動していたものということができる。(3)更に、被告人は、監禁行為中、テレビの事件報道に注意を払い、殺傷行為の結果を確認すると、石塚真理に対し、「四人も死んだ。お前が死んだら五人目だ。五人殺せば死刑だ。」などと述べているのであるから、本件犯行の社会的反響の大きさ、刑事責任の重さについても被告人なりに認識していたというべきである。(4)加えて、被告人は捜査官の取調べに対し、犯行に至る経緯及び犯行についてかなり詳細な供述をし、しかも、その内容は客観的証拠とも多くの点で符合しており、犯行前及び犯行時の記憶をかなり正確に保持しているということができる。なお、被告人が電波やテープの声の指令によつて本件犯行に及んだかどうかという点については、被告人の否定するところであり、また、そのようなことがあつたと窺わせる資料も存しない。

(三) これらの事情に照らすと、被告人は、本件犯行時、幻覚妄想状態にあつたものの、風祭、福島両鑑定が一致して述べるように、人格の中核がおかされる精神分裂病などの場合とは異なり、人格の変容はそれほど大きいものではなく、分別の統合もほぼ保たれていたと考えられ、したがつてまた、本件犯行が、弁護人の主張するように、幻覚・妄想に直接的かつ全面的に支配されて遂行されたものとは認め難く、被告人には自己の行動を選択できる力、すなわち、重大犯罪を合法的な方法により回避することのできる力がなお残されていたものと考えられる。そうすると、被告人の幻覚・妄想は、本件犯行の動機の形成に重要な役割を果たした点において、事理を弁識しこれにしたがつて行為する能力を著しく制約していたが、それ以上に右の能力を失わしめるほどの影響力はもたなかつたものと認めるのが相当である。被告人が見ず知らずの通行人を殺傷した点についても、被告人が右の能力を制約されながらも、妄想的怨恨を晴らす手段として、一応主体性を保ちつつ選択したものと理解することができる。

(四) 以上要するに、被告人は、犯行当時、異常性格を基盤とする心因性妄想に覚せい剤使用の影響が加わつて生じた幻覚妄想状態による精神障害のため、心神耗弱の状態にあつたものであるが、心神喪失の状態には立ち至つていなかつたものというべきである。

(累犯前科)

被告人は、(1)昭和五一年七月一九日東京地方裁判所で暴力行為等処罰に関する法律違反、脅迫の罪により懲役一〇月に処せられ、昭和五二年四月一八日右刑の執行を受け終わり、(2)その後犯した傷害、銃砲刀剣類所持等取締法違反、道路交通法違反の罪により昭和五三年一二月一八日千葉地方裁判所八日市場支部で懲役一年に処せられ、昭和五四年一一月一七日右刑の執行を受け終わり、(3)その後犯した道路交通法違反、業務上過失傷害の罪により昭和五五年九月一日同支部で懲役七月に処せられ、昭和五六年三月二一日右刑の執行を受け終わつたものであつて、以上の事実は、検察事務官作成の前科照会回答書、電話聴取書及び右(2)(3)の裁判についての各判決書謄本によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為のうち、各殺人の点はいずれも刑法一九九条に、各殺人未遂の点はいずれも同法二〇三条、一九九条に、判示第二の所為のうち、住居侵入の点は同法一三〇条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、監禁致傷の点は刑法二二一条(二二〇条一項)に、判示第三の所為は銃砲刀剣類所持等取締法三二条三号、二二条にそれぞれ該当するところ、判示第二の監禁致傷罪については刑法二二〇条一項所定の刑と同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号所定の刑とを刑法一〇条により比較し、重い傷害罪の懲役刑(短期は同法二二〇条一項所定の刑のそれによる。)で処断することとし、判示第二の住居侵入と監禁致傷との間には手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により一罪として重い監禁致傷罪の刑で処断することとし、各所定刑中判示第一の各殺人罪についてはいずれも死刑を、各殺人未遂罪についてはいずれも有期懲役刑を、判示第三の罪については懲役刑をそれぞれ選択し、判示第一の各殺人未遂罪、判示第二及び判示第三の各罪は前記各前科との関係で四犯であるから、同法五九条、五六条一項、五七条によりそれぞれ累犯の加重をし(但し、判示第一の各殺人未遂罪については同法一四条の制限内で)、以上は心神耗弱者の行為であるから、同法三九条二項、六八条一号又は三号によりそれぞれ法律上の減軽をし、判示第一の各殺人罪については無期懲役刑を選択するが、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四六条二項、一〇条により犯情の最も重い判示第一の長野博明に対する殺人罪の刑で処断し他の刑を科さないこととして、被告人を無期懲役に処し、押収してある柳刃包丁一丁(昭和五六年押第一六四四号の一)は判示第一、第二の各犯行の用に供しかつ判示第三の犯行を組成した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項一号二号、二項を適用してこれを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、白昼、下町の商店街において、通りすがりの婦人や幼児を手当たり次第に殺害しようとして、次々に柳刃包丁で襲いかかり、一瞬のうちに幼児二名を含む計四名の生命を奪つたうえ、二名に傷害を負わせ、更に、通りかかつた女性一名を人質として近くの飲食店に長時間立てこもり、その女性にも傷害を負わせたというものであつて、犯罪史上まれにみる兇悪な犯行である。殺害行為の態様をみても、刃体の長さが約二三センチメートルに及ぶ柳刃包丁を用いて、いずれも身体の枢要部をねらつて力まかせに突き刺し、特に幼児二名に対しては文字通り滅多突きにし、成人の被害者に対しても、骨を切断し、胴体を貫くほどの創傷を与えるという残虐なものであり、監禁行為についても、その時間は七時間を超え、この間、被害者の哀願や警察官の説得にも全く耳を貸さず、絶えず包丁を突きつけるなどして被害者を死の恐怖におののかせていたうえ、その頭部や胸部などに三十数か所に及ぶ傷を負わせているのであつて、悪質極まるものである。

その結果、家族らの愛情と期待を受けて育てられていた二人の幼児と平和な家庭生活を営んでいた二人の主婦がいわれのない苦しみのうちに思いもかけない非業の死を遂げたのであり、その無念の情はもとより、遺族らの悲嘆と痛恨の念は察するに余りある。また、本件が、被告人と無縁の市民を巻き込んだ無差別大量殺傷事件として、付近の住民に与えた不安と恐怖ははかり知れず、社会に与えた衝撃も深刻、重大である。

被告人は幻覚・妄想と妄想的怨恨に駆られて本件犯行に及んだものではあるけれども、被告人が覚せい剤を濫用するなどしてみずからこのような精神の異常を招いたという面も否定できず、その意味で、動機の点においても酌量の余地に乏しい。

以上のような本件犯行の態様、結果、動機に関する犯情のほか、被告人の前科前歴、更には、覚せい剤の濫用に伴う兇悪事件が跡を絶たない状況にあることなどをも勘案すると、被告人の刑事責任はまことに重大であるといわなければならず、精神に異常をきたしていた事実がなければ、極刑をもつて処断すべき事案である。しかし、本件犯行当時被告人が心神耗弱の状態にあつたことは前示のとおりであり、法律の命ずるところにしたがつて刑を減軽しなければならないが、叙上の諸事情にかんがみると、幻覚・妄想の形成要因の一つである異常性格には遺伝的負因や生育環境に規定された側面もあること、現在では一応謝罪の意思を表していることなどを斟酌しても、被告人は、心神耗弱による法律上の減軽をした場合に科されうる最高刑すなわち無期懲役の刑を甘受しなければならないものと考える。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤文哉 山室惠 岡部信也)

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